社会現象を巻き起こしたドラマ「半沢直樹」や「リーガルハイ」など数多くの作品に出演する俳優の堺雅人さん。
今回は堺さんの若い頃に関してのエピソードや、大学時代の受験に関する話、更に出身地や学歴、発達障害との噂についても幼少期までさかのぼって調べました!
この記事の目次
堺雅人の出身は?幼少期のエピソードをご紹介!兄弟についても!
堺さんは宮崎県宮崎市に生まれ、実は3人兄弟の長男なんだそうです。ちなみに下の弟さんは現在陶芸家として活躍していて、一番下の弟はバンドマンなんだそうです。
堺さんは現在でもそうですが大の読書好きで、それは幼少期からなんだそう。幼稚園時代のこんなエピソードがありました。
- 「ひとりで家で本を読むのが好きな子供だった。歴史や伝記が好きだった。」
- 「おゆうぎの全体練習の時に図書館で本を読んでいたら自分抜きで全て進行して終了してしまった事があった。」
なんとなくお察しの方もいるかとは思いますが、あまり目立たないお子さんだったんだそうです。更に、小学生時代に関しては小4から野球をやりだしたんだそうで、ついにアウトドア系になったのかと思いきや、、、。
「周囲の圧力に負けて嫌々やっていた。ポジションは3塁ランナーコーチ。眼鏡をかけていたせいかバットにボールが殆ど当たらなかった。」
と言う事で、流されてスポーツをはじめ、嫌々続けていたんだそう。堺さんは少年時代から、”公務員(通商産業省の官僚)”になりたいという夢をもっていて、勉強を物凄い頑張ったんだそう。
もちろんその頃には野球は辞めていて、中学受験をしてんだそうです。入学した中学が宮崎大学教育学部付属中学校。ちなみにこの中学校は公立で、当時だと県内トップの学力だったそう。ちなみに部活はブラスバンド部に所属。
堺さんが俳優を目指したキッカケになるのがこの中学時代。当時の東京では小劇団ブームで、雑誌に取り上げられたときに読書好きの堺さんの目にとまって、興味を持ち始めます、華やかな世界が刺激的だったんでしょう。
堺雅人の高校時代や大学時代はプリンスだった!?学歴も紹介!
先ほどの続きからですが、堺さんはいわゆるガリ勉タイプで、中学時代までは過ごしていて、高校も地元の進学校宮崎県立宮崎南高校に進学します。本人談によると高校では8時間以上の授業項目があったそう。
と、高校位までは順調に公務員(通商産業省の官僚)になるために勉強を続けていたわけなんですが、ここである転機が訪れることになりました。
高校時代は演劇部に所属。入部当時は先輩が2人しかいなかったので同級生を勧誘して部員を増やした。
そこで脚本・演出を手がけた作品が九州高校演劇コンクールで創作脚本賞を受賞し、教師(全国的に有名な歌人)の影響で和歌に興味を持った。
とこのような出会いがあり、元々好きだった読書を通じて脚本・演出に興味がわき、演劇の世界へと足を踏み入れたんだそうです。
大学受験は失敗していた!?
演劇に対して興味もありながら、元々の公務員になる夢も諦めずにいた堺さん。実は最初に進学先として選んだのが国立大学でした。しかし残念ながら不合格に終わります。
そして、「まあ、一応受けてみるか」という記念受験で受けた早稲田大学第一文学部に合格し、その時点で公務員になる夢は諦めていたんだそう。
早稲田大学時代の転機!人気っぷりが凄い!?
そこから、早稲田大学へ進学し、演劇研究部に所属。この時点から演劇や俳優などに熱を入れていて、演劇部に入る際にはあることで深く悩んだんだそう。
「演劇をやったら多分中退する」と思って1ヵ月悩んで出家気分で入部した。
せっかく早稲田に入ったのにという感じでしょうか、学業に熱が入らなくなるのが見えていたんでしょう。実際に堺さんの人気は大学時代から相当な勢いだったらしく、こんな風な異名があったんだそうです。
1992年に早稲田大学演劇研究会を母体にした劇団「東京オレンジ」の旗揚げに参加。同劇団の看板俳優として活躍し、「早稲田のプリンス」と呼ばれた。現在も同劇団の名誉団員である。
当時の人気っぷりが予想できますね。きっとルックスも優しそうな爽やかボーイと言う事もあり、やはり女性からの人気の方が高かったみたいですね。
と言う事で、どっぷりと演劇の世界にハマって、後に授業も出なくなるまで夢中で取り組んでいき、堺さんが予想していた通り大学を中退する流れとなります。
さらに、当時はそれが原因で両親と絶縁状態にもになったんだそう。(NHK朝の連続テレビ小説「オードリー」出演まで)
ここで一度学歴をまとめてみると、、。
- 宮崎市立国富小学校
- 宮崎大学教育学部付属中学校
- 宮崎県立宮崎南高校
- 早稲田大学第一文学部中国文学科中退
と、こうなりますね。お次は俳優としての若い頃の活動を見ていきましょう。
堺雅人の劇団時代!極貧エピソードも!?
大学での人気っぷりは相当なもので、それがデビュー前なわけですから、このままいけば売れる事間違いなしという流れなんでしょうが、堺さんの場合だと、そうではありませんでした。
大学時代から劇団員として舞台などに立ち、実力を磨いていたのですが、若い頃はなかなか思うように売れてはいかず、本人談によると、俳優で飯を食えるようになったのは30歳を過ぎてからなんだそう。
ここで堺さんの劇団時代と極貧エピソードやアルバイト歴、などをご紹介。
- 劇団時代、稽古中はストイックだったが、宴会では全裸でお酌していた。
- 劇団時代、「小劇場のプリンス」と呼ばれた。
- 劇団時代は極貧生活だった。米を買うお金がない時に小麦粉料理を研究した。野菜を買うお金がない時にタンポポを湯がいて食べた。
- アルバイト歴は、、、
- コンビニ(毎回レジのお金があわなくてやめさせられた)。
- ドーナツ屋(売れ残りをよく貰った、暇だったので無断出勤してクビになった)。
- 引越屋(腰を痛めてやめた)。
- 美術のデッサンモデル(女性の前で全裸になった)。
- ガードマン。
劇団時代も異名がつくほどの人気っぷりと、実力の持ち主だったようですが、まだ俳優一本で食べていくには足りなかったようですね。
堺雅人のデビュー後の活動を軽くおさらい!
劇団員として活躍しながらも、アルバイト生活を続けていき、段々と実力が認められ、世間一般的にも名前が広まっていきます。
- 2000年:NHK朝の連続テレビ小説「オードリー」
- 2004年:NHK大河ドラマ『新選組!』
- 2005年4月:テレビ情報誌『テレビブロス(TV bros.)』が行った「好きな男」ナンバーワンに選ばれる。
- 2008年4月:世にも奇妙な物語 2008年春の特別編「フラッシュバック」(フジテレビ)でドラマ初主演
- 2008年:『篤姫』で徳川家定 役を演じる
- 映画『クライマーズ・ハイ』、『アフタースクール』などの演技が高く評価され、主要映画賞を受賞
と、デビューから、だんだんと実力が認められ、世間の認知度も上がっていきます。そして、2010年代に入ってからも、人気は衰えることは無く、上がり続けていきます。
- 2010年7月期の連続ドラマ『ジョーカー 許されざる捜査官』(フジテレビ)で連続ドラマ初主演。
- 2012年のテレビドラマ「リーガル・ハイ」が大ヒット。
そして、堺さんが名前を全国に知らしめた大ヒットドラマ「半沢直樹」の主演に選ばれたのも、原作者が、「リーガルハイ」での演技を見たからなんだそうです。そして現在でも活躍なさっていますね!
堺雅人は発達障害!?
堺雅人さんが発達障害なのではないかと言う噂に関してですが、以前にご本人がこんな事をいっていました。トーク番組「おしゃれイズム」での告白。
「右と左が分からない。」
そしてそれを見た視聴者の方から、そんな経験あるとの共感の声や、また、それは○○という病気なのではないか!?という声も同時にあったんだそうです。
「それはゲルストマン症候群かもしれませんね」と話すのは、総合診療科を持つ大阪の「上本町わたなべクリニック」の渡邊章範先生。
「神経学者のヨーゼフ・ゲルストマンが発見した病気ですが、症状としては、人によって程度の差がありますが、左右がわからない、計算が苦手などの症状があります。脳内に病変が存在することによって起こると考えられている神経疾患です」
特に健康的な被害や、運動機能までには影響はないそうですし、堺さん本人も健康そうなので心配は無いのかと思います。。。
それではまとめに入りましょう!
まとめ
- 幼少期は読書が好きな目立たない子で、官僚になるという夢があった。
- 大学受験は一度失敗し、官僚の夢をあきらめ、興味があった演劇の世界へ。
- 劇団員時代はアルバイトをしながら極貧生活、仕事はだんだんと増えるが俳優で食べていけるようになったのは30歳を過ぎてから。
- デビューしてからは順調に右肩上がり。実力も認められ、「半沢直樹」の大ヒットで世間一般的にも認知。
- 発達障害は「ゲルストマン症候群」との噂、身体などには影響はない。
以上になります!これからの堺雅人さんの活躍にも期待大ですね!